“酒屋さん”の記事一覧

ワイン販売50年間の推移

酒屋さんのための専門誌「酒販ニュース」さんが創刊50周年の記念特集をだされました。

ワインの課税数量50年間の推移

日本での赤ワイン・ブームはまだ記憶に新しい出来事ですね。昭和30年代からバブル後の調整を数年経験した以外は、平成10年までほぼ一貫して市場を拡大して来ました。その後、約3割ほど減少したのですが、ここ十年ほどの数量規模はほぼ横ばいで推移しています。

上のグラフは数量ベースですが、これが金額ベースとなると、もっと激しく減少しているかも知れません。10年前のワインの売れ筋は2,000円以下でしたが、現在は1,000円以下と、ワインに使う金額が減少しているからです。

ここ10年の間に、ワイン市場はすっかり様変わりしてしまいました。ワインの質は格段に充実し、輸入業者も随分と代わってしまったのです。

平成10年のワインの課税数量ピーク時には、TVや雑誌で盛んに赤ワインは健康に良いと宣伝されました。赤ワインは当時の健康ブームの主役級となり、赤ワインなら何でも売れ、ワイン・スクールは満員になりました。元野球選手や女優さんなどが、しきりに赤ワイン人気を煽ったりもしました。リッチなボルドー地区がメインのフランスワイン協会などからの後押しもあったのでしょうか!?

当時の輸入業者は赤ワインなら何でも売れると、ほぼ闇夜のつぶて状態でワインを輸入し、在庫を積み上げたのでした。その後、ほぼ全ての輸入業者の楽観的過ぎる予想は大外れ!大きな過剰在庫を抱えたワイン市場は数量規模的にはあまり変化がないものの、業者やワインの銘柄が大きく入れ替わったのです。在庫と販売不振で、とっても厳しい市場になってしまったのでした。

ワインの中で最も馴染みのあるのがボジョレー・ヌボー。こちらのピークは「100年に一度の作柄」と言われた2005年。酒倶楽部ステップでも、ボジョレー・ヌーボーへのお客様からの引き合いに追い付かず大騒ぎとなりました。3千円も4千円もするワインがポンポン売れるのは毎年この時だけ。ヴァレンタインデーのチョコレートや土用の日のうなぎみたいに、ワインを飲む日みたいな気分になるようです。年に一回11月にだけワインを飲む方は、意外に多いかも知れません。

2005年以後はパッタリ不振に!(涙)大手スーパーも参入して大量の売れ残りを生んだのでした。その後、昨年2009年には、また「50年に一度の作柄」で久々に品切れとなったのです。一般の酒屋はボジョウレー・ヌーボーの注文を9月に行います。したがって、その年のワインの良し悪しを予想するのは、ほぼ不可能なんですよ!

ワインは現在、様々な地域で質の良いリーズナブルなワインが造られています。安旨ワイン増殖中なのですよ!そして個性あるワインの輸入業者も増えて来ました。その一方で高級ワインは最高値を記録しています。

様々な思惑が交錯しているワイン市場は、今後最も注目して面白い市場かも知れません。現在、酒類の中でのワインの占有率は3%程ですが、今後もこの占有率は変わりそうもありません。しかし、その内容がドラスティックに変化して行きそうです。ワイン・ファンは期待しましょう!!

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ウイスキー販売50年間の推移

酒屋さんのための専門誌「酒販ニュース」さんが創刊50周年の記念特集をだされました。

ウイスキー課税数量50年間の推移

国産ウイスキーの歴史は、そのまま日本の高度成長期の歴史や、サントリーさんの歴史と重なるのです!

昭和30年代から昭和58年までウイスキー市場は急拡大し、高度経済成長と共に30年代の5倍ほどの水準まで拡大したのでした。しかしその後は、バブルの時期に若干上向いたものの、ほぼ一貫して縮小を続け、ここ数年はほとんど昭和30年代と同水準まで縮小しています。

58年のピーク時から比べると数量ベースでは、なんと約8割の減少です!スナックさんなどでウイスキーの独壇場だったボトル・キープは焼酎へと見事に取って代わられてしまいました。現在でも語り継がれている、開高健さんや山口瞳さんが在籍した、有名なサントリー宣伝部の影響力が、昭和58年以降徐々に効果を失って来てしまったのでしょうか?

高度成長期時代には、ウイスキーは憧れでありステータスだったのです。TVのCMには大物スターが続々と登場しました。今でも憶えているのは、ショーン・コネリーさんが登場して「ウイスキー水で割ったらアメリカン!」(意味はいまだによく分からないのですが!)のTVCMです。とっても華やかでカッコ良かった記憶があります。

当時、大学生はサントリー・レッドやホワイトを飲み、社会人になったらサントリー角やオールドなど出世に伴って飲むウイスキーは変化していったのです。ウイスキーには安価なものから高級品まであり、出世に従って豊かさを実感できる仕組みがうまく確立されていたのですね。また、最高級品であったスコッチ・ウイスキーが、海外旅行のお土産として重宝されたのは記憶に新しいですね。

ウイスキーの中で最もステータスのシンボルとなっていたのが、輸入物の有名スコッチ・ウイスキーでした。英国からの外圧が強まり税制が変更され、高嶺の花とされていたスコッチや国産高級ウイスキーの価格は下がりました。しかし、困った事に価格が急激に下がった事によりイメージの低下をもたらしてしまい、結局売れなくなってしまったのです。安くすれば売れる訳ではなかったのです。この法改正はサッチャー英国首相の誤算と、当時評されたのだそうです。

最近ではシングル・モルト・ウイスキーが静かなブームとなったり、業務用市場でハイボールが人気となったりと、長い間減少傾向が続いていたウイスキー需要に回復の兆しが見え始めました。昭和30年代から始まり、非常に高いピラミッド型の需要の激増、激減の後、また新しいウイスキーの流れがガリバーであるサントリーさんを主導に始まったようです。期待しましょう!

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焼酎販売50年間の推移

酒屋さんのための専門誌「酒販ニュース」さんが創刊50周年の記念特集をだされました。

焼酎の課税数量50年間の推移

焼酎市場の50年間を大きな流れで見た場合、まだまだ数量がピークアウトしたとは言い難く、依然として上昇トレンドの途中にある印象を受けます。他の酒類が大幅な需要減少にある中、焼酎の数量は相対的に堅調に推移しているのです。

焼酎の課税数量のピークは平成16年で、焼酎ブームと騒がれた年でした。その年から平成21年まで約4%の減少ですから、ほぼ横ばいです。

焼酎市場の拡大でも、大手ビールメーカーほどではありませんが「二階堂」さん「雲海」さん「白波」さん「いいちこ」さん「霧島」さんと焼酎業の大手が誕生し、本格焼酎市場をリードしてきました。

本格焼酎が市場拡大に成功した理由でよくいわれているのが、市場を飽和状態にする事なく、常に需給調整を行っていた事。常に腹八分目の状態で需要をカバーして来たのです。

酒類の流通を理解し、投げ売りや値下げ競争が起きないようにして本格焼酎の価値を保ったのです。この需給調整による販売戦略は現在でも広く焼酎業界で行われています。「これは焼酎業界が清酒業界の失敗から学んだのだ!」といった意見もあります。

また、この市場拡大の過程で、本格焼酎が健康に良い影響を与える事や、有名人が芋焼酎を好んでいるなどのプラス要因が加わった事も支援材料となりました。

焼酎にはもう一つの、現在では4Lなどの大容量が中心となっている焼酎甲類があります。こちらも昭和56年頃から急拡大し、チューハイやサワーといった新しい飲み方が飲食店を中心にブームとなったのです。

その後、大手酒造メーカーさんがこぞってスタイリッシュな業務用ボトルを発売しました。しかし現在では、ほぼ韓国焼酎のジンロさんの一人勝ち!他の甲類は徐々に大容量へと人気が移って行き、4Lペットの大容量が宝焼酎さんを筆頭に主力商品となっています。

大容量甲類焼酎の問題は価格競争が止まらないこと。大手メーカーは取引正常化に動くのですが、販売数量の落ち込みに耐え切れず、再び条件が出ることが繰り返されてきました。この傾向は主力市場である首都圏よりも地方でより激しいようです。特に北海道で価格競争が激しいのは、酒業界では有名な話なのです。

現在、焼酎の酒類に占める割合は約10%です。清酒の課税数量がピークの時には約30%を酒類の中で占めていました。それと比べると現在の約10%は、まだまだ少ない気がします。

酒を飲む集まりがあれば、必ず焼酎を飲む時代です。酒類の中での占有率が30%まで上昇するとは思えませんが、20%ぐらいになっても不思議ではありません。現在の芋焼酎ブーム後遺症ともいえる状況の整理が進めば、更なる伸びが期待できる様な気がします。

ちなみに酒類専門家の方は、「焼酎の成長神話は終わった!」と何故かいつも焼酎の先行きには悲観的なんです!なんででしょ!?(汗)

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清酒販売50年間の推移

酒屋さんのための専門誌「酒販ニュース」さんが創刊50周年の記念特集をだされました。

清酒の課税数量50年間の推移

大変に困った事に、清酒出荷量の低迷が止まりません。

ピークの昭和48年には176万6310KLあった清酒課税数量ですが、平成21年には63万3903KLまで減少してしまいました。36年間の間に6割強減少したことになります。酒類全体に占めるシェアもピーク時には30%ほどあったのですが、これも7%まで減少してしまいました。

平成21年度の清酒の課税数量水準は、なんと50年前の昭和35年と同水準。大変に凄まじい清酒離れが起こっている事が分かります。

この主な原因は嗜好品である清酒市場で、大手清酒メーカーが競って「安かろう、悪かろう」のパック酒の販売競争を繰り広げたためとの意見もあります。しかし、清酒がまだこの課税数量の水準にあるのはパック酒が貢献しているから、とも言えなくもありません。大手メーカーのパック酒の構成比は上昇傾向にあります。

清酒の課税数量が特に大きく減少し始めたのは、大手清酒メーカーが集中している地域で起きた平成7年の「阪神淡路大震災」の年から。震災により更なる借入などが発生し、より売上を求めてパック酒の販売合戦が激化したとも推測できます。

清酒市場にはもう一つの流れがありました。「地酒市場」です。地酒専門の問屋が誕生し、地方の地酒に特化した酒屋である「地酒屋」を組織しました。また、「越乃寒梅」や「久保田」などを筆頭に、酒の小売店と直接取引を行い差別化する蔵も出て来たのです。

「おまえんとこの隣のお店には絶対に卸さないでやるから、おまえんとこの店じゃ、沢山売ってくんなダメだからね!!」みたいな感じでしょうか(笑)!売れ続ければ良かったんですけどね~!(汗)コミットメントがね~!キツイんですよね~!!(涙)

その後、いわゆる幻の銘柄が登場しては消えて行ったのだそうです。今でも幻の有名銘柄は幾つかありますが、有名料亭さんに扱ってもらい、人気雑誌の「ダンチュウ」などで記事にしてもらう等の、いわゆる地酒グループさんの差別化販売戦略も段々と影響力は低下して来ていると聞いています。

今年のGW時には、昨年のGW時に比べ、酒屋の店頭で清酒を買い求める方が増えた感じがします。ひょっとしたら、これが底打ちの「コツン!」って音なのかも知れません。少数とはいえファンは必ず存在するのです。今後は清酒もどちらかと言えばマニアの酒として、いかにファンを増やすかが重要なようです。それと、何と言っても清酒には海外に強烈にデッカイ市場が存在する事を、意識しないといけないのかもしれませんね!

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ビール販売50年間の推移

酒屋さんのための専門誌「酒販ニュース」さんが創刊50周年の記念特集をだされました。

ビール課税数量50年間の推移

酒類全体ではピーク時から10%程度の減少ですが、酒類の中で最もボリュームの大きいビール(発泡酒とか第三のビールじゃない税法上のビール)の減少は予想以上です。

ビール消費のピークは平成6年で、酒類全体に占めるビールの割合は7割を超えていました。その平成6年から発泡酒の登場と共にビールの消費はブラック・マンデーなみの暴落、減少となっているんですよ(涙)!ピークからの減少幅は約6割で昭和46年頃と同水準にまでなっちゃってます!!ヒドイ(汗)!

日本のビール50年間の歴史は、日本の大手ビールメーカー4社の歴史です。戦後、現サッポロ・ビールさんと現アサヒ・ビールさんが分割りとなり、そんな中、全国への流通網を持っていた現キリン・ビールさんがグングンとシェアを伸ばしました。そして昭和58年にはシェア63.8%となり、最高シェアを達成したのでした。戦後の生活が豊かになるのに伴い家飲みでの需要増を受けてキリン・ビールはシェアを伸ばして来たのです。

その後はアサヒ・ビールさんが低迷した業績の復活に向けて開発された、昭和62年発売のアサヒ・スーパードライが大大ヒットとなりました。そして平成9年には遂にキリン・ラガーを抜いてナンバーワンのシェアになったんです。アサヒ・ビールさんの活躍は、まだ記憶に新しい出来事ですね。TVのCMに落合信彦さんが出てて、とってもカッコよく見えました!

平成6年にはサントリーさんが初めて「発泡酒を」発売し、その後各社が追随。平成15年にはサッポロさんが麦芽も麦も使わない「第三のビール」と呼ばれるようになる、「発泡酒」よりも更に安い新分野のビール系飲料を発売しました。これらの出来事に経済不況などが加わり、ビールの数量はピークから約6割の減少。酒類に占めるビールの割合も3割~4割にまで減少しまったのです。

50年間のビール業界第一幕は「キリン・ラガーの一人勝ち」。第二幕は「アサヒ・スーパードライの大ヒット」。第三幕は「大ヒットがないまま、各社「第三のビール」でのシングル・ヒットの打ち合い」といったところでしょうか!

ホッピーブームも到来しており、今後のビール・テイスト飲料業界、益々波乱がありそうです。それにしても、ほぼビールの製造販売だけで大手ビールメーカーはここまで大きくなったのですから、スゴイ産業です!

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