“大みそか”に関する記事一覧

2012年穏やかな大みそか

今年も早かった!アッという間の2012年でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

飲んべーさんにとって今回のお正月は長期戦といえるかも知れませんね。たぶんもう既に十分お屠蘇気分を満喫されている方も多いのではないでしょうか。一回戦飲っつけて、また紅白が始まる頃に本日の二回戦目ってな感じか(笑)!?

せっかくの長いお正月休みです。家族や親せき、友人といい酒を飲んで絆を深めて頂ければ酒屋としても幸いに思います。

さて、街場の酒屋にとっての2012年は、比較的平穏であったと言えるかも知れません。何年も前と比べたら全然良くないのですが、それでも逆風の中で、大きく吹き飛ばされることもなく過ごせました。

 シャープの業績悪化、パナソニックの業績悪化と、日本国としてのビジネスモデルが機能しなくなっている印象もありますが、そんな中で街場の酒屋が生き残っていけてるのですから良しとしなければいけないのでしょう。

もし酒屋として大きく業績を伸ばしたいと考えれば、ドラスティックに酒屋としてのビジネスモデルをまったく新たなものに変更する意外に方法はない様です。とはいっても、まったく良さそうなアイデアは思い浮かばないため、身の丈に合った方法で生き延びるしか、しばらくは方法がなさそうです。

そんなことで、来年もまた酒屋としてお客様のご要望に少しでもお応えし、なおかつ専門店としてワンランク上のサービスがご提供できるように頑張りたいと思います。

来年も宜しくお願い致します。

末筆になりましたが、健やかでよい新年をお迎えください。

 

※こちらの商品は現在取り扱いがない場合があります

2011年快晴の大みそか

2011年は間違いなく日本を含む世界中で大変な年となりました。

そんな2011年ももう終わり。毎年思うことですが、アッと言う間の一年間だった気がします。また、そのスピードも年々加速しているような気もします。

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年の酒屋は、震災の影響で経済状態が悪化したにもかかわらず、意外に良かったと言えるかも知れません。たぶん震災の精神的影響や、経済環境の悪化から家に帰って「賢くお酒のある生活を楽しむ!」ような生活スタイルへの変化があったような気がします。

酒倶楽部ステップのある蕨市と戸田市の境辺りは、ほとんどの方が東京へお仕事に出かけていると言えなくもありません。帰って来てお酒を楽しむのであれば、地元の酒屋をご利用いただくことになるわけです。

 また、酒屋のオヤジにとっては香港、中国からの高級ワインの猛烈な買いで市場がバブル化したことも印象に残った年となりました。香港は中国大陸を中心とするワイン需要の増加から、輸入にかかる税金を撤廃して世界のワイン市場の中心地となったのでした。

3.11の震災後、酒屋はしばらく水屋状態となったのですが、そこでは可愛い孫のために出来るだけ水を確保しようと必死な方が多い中、お子さん方が「必要以上に買ったらダメだよ!」と親や祖父母を制していたことを思い出します。

酒屋のオヤジが若かりし頃には新人類などと呼ばれ「最近の若いものは・・・!」みたいにいわれましたが、「最近の若いひとは素晴らしい!日本の将来は明るい!!」と思った次第です。

商売にとっての取り巻く環境は依然厳しさを増しておりますが、何とか酒屋として生き残るべく2012年ももがいて行きたいと思っております。

末筆になりましたが、健やかでよい新年をお迎えください。そして来年も宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「大みそか」の過ごし方

先日、日経新聞に付いてきた日経マガジンに「大みそかの夜に・・・・」という興味深い記事が載っていたのでご紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

冬は明るい星が最も多い季節なので星を見るには最適なのだそうです。特に経済活動が少なくなる年末年始は星が見やすくなるのではないでしょうか。

中国は旧正月、欧米はクリスマス、中東は犠牲祭に重みを置く中で、日本人は一年の終わりに特別な思いを抱きます。その起源や過ごし方はどうだったのでしょうか。

一年の最後の日を「大みそか」と呼ぶようになったのは、意外に新しく江戸時代になってから。それ以前は「おおつごもり」と呼ばれていたのだそうです。

「江戸時代の大みそかは慌ただしかった!」当時は日用品の買い物をツケでしていて、その精算は年に2回、お盆と大みそかにしていた。町民は金策に追われ、商人は深夜まで集金に走り回っていた。「除夜の鐘が鳴りおわると払わなくてもいい」ともいわれていたので商人は必死だったのだそうだ。

年越しそばを食べるようになったのもこのころで、借金取りに忙しい商人が時間をかけずに食べられる料理として広まったともいわれている。年越しそばの起源にはその他、いろいろな説があるのだそうだ。

江戸時代、正月の準備は12月13日から始まった。武士も町民も13日に大掃除をしたらしい。葉の付いた竹で家のホコリを払うのが正月の準備の始まり。

正月に食べるおもちは12月28日についた。29日は「9」が「苦」を連想させるので「苦労を背負い込む」から、旧暦の大みそかである12月30日は「一夜もちは縁起が悪い」と敬遠された。そして大みそかに三が日分のお雑煮の汁を作り、正月には何もしなくていいように準備してから、新年を迎えたのだそうだ。

「年の切り替わりに日本人は特別な関心を持っていた」とのことで、特に悪いことがなくても、一年経つとホコリのような「けがれ」がたまる。だからと年の区切りにはけがれを払って、きれいな心身になろうと考えた。そのために、どう新年を迎えるかが大切だったのだそうだ。

年越しそばを食べるようになる以前、日本各地には「年取り魚」といわれる魚を大みそかに食べる習慣があった。その代表は「サケ」と「ブリ」。サケは「栄える」、ブリは出世魚だから。お歳暮で新巻きザケが贈られたのもその名残らしい。今でも長野県と北海道では半数以上で、「年取りそば」ではなく「年取り魚」を食べる習慣があるのだそうだ。

「年神が訪れる大みそかは夜が明けるまで眠ってはいけない」。昔の一日は日が昇ってから沈むまでだった。日が沈んでからは神様の時間。その時間に起きていて神と共に過ごす大みそかは、新しい世界を前にした特別な一日だった。

地域によっては今も「大みそかに早寝するとしわが増える」や「髪が白くなる」との言い伝えが残っているのだとか。ラジオもテレビもなかった時代、人々はいろいろな話をしながら眠らないようにした。子どもたちには年長者がおとぎ話を聞かせた。おとぎ話にショッキングな怪談的な要素が入っているのは、子どもたちを恐がらせて眠らせないためらしい。

最後にこの日経マガジンの記事では「2011年の最後の日。今年は、昔ながらの大みそかの過ごし方がふさわしい気もする。」と〆ております。親しい人と一緒に、夜遅くまで静かに過ごし、語り合い、今大切にしなければならないとされる「絆」を深めることになれば良いですね。

もちろん大人は一献かたむけあって過ごすのがサイコーなのですが!(笑)

 

※こちらの商品は現在取り扱いがない場合があります

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